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「西陣織とは」

What is Nishijin-ori?

【西陣織とは】​京都の西陣で生産される先染めの紋織物を西陣織と呼びます。先染めの紋織物とは染色した糸を使って模様を織りだす織物であり、複雑な織りの技術といくつもの工程を経て完成させる高級な絹織物です。西陣織は1976年に国の伝統的工芸品に指定されており、「西陣」「西陣織」という文言は西陣織工業組合によって商標登録がされています。豪華絢爛で立体感のある西陣織は、日本を代表する絹織物として世界に広く知られています。

【西陣織の歴史】5〜6世紀の古墳時代、中国から養蚕、絹織物の技術が京都に伝来しました。平安時代には宮廷内に「織部司(おりべのつかさ)」と呼ばれる役所で高級織物が作られました。宮廷の貴族達が優秀な職人を集めて、材料、技術、柄など切磋琢磨させたことで急速に発展を遂げました。

15世紀の室町時代に11年続いた応仁の乱により、京都は東軍・西軍に別れ分断されました。山名宗全率いる西軍が陣地を置いたエリアが「西陣」と呼ばれ、戦時中大阪の堺に逃れていた織手は西陣エリアで織物業を再開しました。西陣で織られる織物ということから「西陣織」の名前がつき、日本を代表する織物へと発展していきます。

江戸時代後期には奢侈禁止令、明治時代には東京遷都もあり高級織物の需要は著しく減少します。それを受けて京都府は西陣織の保護政策を実施し、西陣織の職人をフランスへ留学させジャカードと呼ばれる最新の織機装置を導入して織物技術の近代化を進めました。

1990年代以降、きものの需要は減る一方ですが西陣織は時代に合わせた変化への対応をして技術を進化させ続けています。

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「六文字屋の歴史」

 

History of Rokumonjiya

【創業 1690年】戦国の匂いも消え、江戸時代も落ち着いてきた元禄3年(1690年)。かの有名な忠臣蔵事件が起きる約10年ほど前で町衆の文化も広がり、華やかな雰囲気が世の中に立ち込めていたよき時代だったそうです。

初代・半兵衛が西陣にて寺院の衣服である「法衣」を織る織物業を始めました。「六文字屋」という屋号を掲げましたが、それは仏教の「南無阿弥陀仏」の「六文字」から取った名前でした。

【明治時代】代々、西陣織の事業を続けてきた「六文字屋」の「半兵衛」。時代は明治時代となり、町民にも名字が許されるようになり「岡本半兵衛」を名乗ります。名前は代々「半兵衛」を継いできましたが、10代目の名付けにあたり「半」は縁起がよくないと「繁」と当て字となりました。この10代目の時代に明治政府による廃仏毀釈運動が起こり、同じ西陣織でも法衣製造から帯地製造へと事業転換を行いました。

【11代目が問屋奉公に】 室町の呉服問屋へ11代目は幼少より奉公に上がりました。記念日に全員店の前に整列して撮影した明治時代の貴重な写真です。

【岡文織物株式会社】1967年、12代目は六文字屋を岡文織物株式会社として株式会社化します。1971年に榎邸を本社とし今に続きます。さらに1981年には室町丸太町に自社ビルを建設(2017年に解体)し、営業本部として昭和から平成の西陣が最も栄えていた時代を駆け抜けました。

「榎邸」

 

"Enoki-tei" old house Kyoto style

弊社本社屋の『榎邸(えのきてい)』です。

多くの西陣織の織屋からいまだに「はた織りの音」が聞こえる西陣地区の中心部(京都市上京区)に建つ明治時代後期の町屋建築です。2021年で築110年を数えます。

間口に比べて奥行きのある配置、深いひさし、細い柱など、京町屋の特徴をよく備える 木造二階建てで、商家の常として居宅部分と商用部分に分かれ、三つの土蔵と茶室、二つの庭を持つ約二百四十坪の豪壮な建物です。 大広間には新築時に宮様をお泊めしたなごりの菊のご紋の箔押しが欄間などに 痕跡をとどめており、京都市から景観重要建造物と風致形成建造物に指定されております。

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「行燈」

 

"Andon" paper‐framed lamp

建造された明治時代から100年以上も経った木造建築ですのでかなり痛みもございます。

その修復・修繕は町屋建築の専門家であられる京都建築専門学校の佐野先生に依頼しました。佐野先生のご提案もあり、建物正面に古風な「行燈(あんどん)」を設置し、雰囲気ががらりと変化いたしました。 京都御所内に建てられた宮内庁の京都迎賓館にも使われた工房に発注しましたが、問題となったのは「大きさ」。下から見上げるところに置かれるので、実際より小さく見えてしまいます。 上野の西郷隆盛像の頭部がかなり大きいのと同じです。模型を何回も作って設置し、決定しました。 取り付け後、三年を経て、きんきらだった赤がね(純銅)にさびが出て、落ち着いた現在の風情となっております。

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